田中 以知庵 Ichian TANAKA 1893~1958
明治26年(1893)7月東京本所生まれ。本名は兼次郎、一庵とも号す。明治42年松本楓湖に師事、速水御舟らと親交する。巽画会展・紅児会展・美術研精会展に入選を重ねる。また釋宗活のもと禅を学び、大正元年「咄哉」の号を受ける。大正3年美術研精会審査員。大正8年「木鐸会」を結成。昭和4年小室翠雲の推挙で日本南画院同人となる。昭和6年雅号を「咄哉州」とする。昭和13年第2回新文展に『仙苑』を無鑑査出品し、官展にデビュー。以後、新文展・紀元2600年奉祝美術展・戦時特別文展に出品。昭和21年から「以知庵」と雅号を改める。第4回日展から第13回日展まで連続依嘱出品。第6回日展には初の審査員として『白夜』を出品。また再興された日本美術協会展のほか、個展や酒井三良・富取風堂との三人展にも独特の味を持つ風景画を出品する。昭和33年(1958)神奈川県川崎市で歿、64歳。
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